スロプロという生き方―自由を求めた20年|第2話:終わらない仕事

ネオンが消えかけたパチンコ店の前で、過去を見つめるように佇んでいる」→「ネオンが消えかけたパチンコ店の前で、静かに過去を見つめる青年 未分類
自由を求めて始めたスロプロ生活が、いつしか“終わらない仕事”に変わっていく──その転換点となった場所。

第二話 要約|“自由”で稼ぐはずが、いつしか“終わらない仕事”に変わっていた

自由を求めて始めたスロプロ生活。
誰にも縛られず、自分の力で稼ぐという理想を手にしたはずだった。

しかし、勝てるほどに忙しくなり、時間は削られ、生活はルーティン化していく。 その自由は、いつしか“終わらない仕事”へと姿を変えていた。

打ち子の組織化、収益の拡大、そして店からの出禁──。 自由の代償と、崩れゆく仕組みの記録がここにある。

「勝てる時ほど忙しい」という現実

スロットは、「勝てる時ほど忙しい」という過酷な現実を突きつけてきました。
設定の高い台を見つけたら、22時00分頃までは打ち続ける必要があります。
それが、勝ち続ける者の宿命でした。

稼働を終えて帰宅するのは、だいたい22時30分〜23時頃。
そこから夕食をとり、風呂に入り、そして最も重要なExcel作業が始まります。
台の挙動や店の傾向を記録し、翌日の作戦を立てる。
データ入力や分析に1〜2時間かかるのは当たり前でした。

翌朝は、9時30分にはパチンコ屋に到着しておく必要があります。
開店前の並びや抽選に参加するためです。
しかも、勝てる店が遠方にある場合は、片道1時間ほどかけて通うこともあります。
この移動時間も含めると、自由のはずの生活は、完全に“仕事化”していきます。

このサイクルが続くと、睡眠時間はどんどん削られていきます。
自由を求めて始めたはずの生活が、いつしか“終わらない仕事”に変わっていったのです。

一人で稼ぐ限界、そして組織化へ

自分のスキルとツールを磨くほど、収益は伸びました。
しかし、個人で打てる台数には限界があります。
この壁にぶつかった私は、収益をさらに拡大させるため、打ち子を雇うことを決めました。

もう一つの理由は、年齢とともに一日中打ち続けるという作業が、次第に苦痛になってきたことです。
若い頃は、閉店まで打ち続けることに何の抵抗もありませんでした。
しかし、長時間の稼働とデータ作業を毎日繰り返す生活は、体力的にも精神的にも限界が見え始めていました。

私は、自分の役割を「打つ人」から、戦略を練る側へとシフトさせたかったのです。
データ収集・データ分析・作戦企画・指示──。
これらを自分の主な仕事にして、現場で打つという肉体労働から解放されたいという思いが強くなっていきました。

打ち子4人を雇い、月の稼働日数が10日で約70万円ほどの利益が上がるようになりました。
この収支にも波はありますが、打ち子を取り入れたことで、私の収益は大きく伸びました。

最高の月間収支は200万円を超えたこともあります。
その成功に酔いしれ、私は「もっと早くから打ち子を雇えばよかった」と過去の自分に後悔したほどです。

組織の難しさ

しかし、私はすぐに現実の壁にぶつかりました。
私が望むタイミングで彼らが動いてくれないという問題です。

彼らには彼らの人生の軸があります。
私にとっての“動いてほしいタイミング”は、勝てる瞬間。
彼らにとっての“動きたいタイミング”は、お金が必要な時。
そのズレは、避けられない現実でした。

さらに、組織の人数分が利益を出せる状況を見つけるのは、極めて難しい。
自分一人分だけ準備するのとは、別格に難易度が高いのです。
曖昧な作戦で向かえば、スロットの負け額と人件費の両方で、大きなマイナスを生むことになります。

そして、私が安定して仕事を作り出せなかったことで、離れていく人もいました。
私の戦略と彼らの現実が、うまく噛み合わなかったのです。
もちろん、お金をもらうことで協力関係になってくれているのが大前提。
それでも動いてもらえなかったのは、自分の無力さが原因だったと痛感しました。

お互いにメリットのある関係を築いていくことの重要さに気づきました。
それは、すぐに完成するものではなく、少しずつ構築していくものだと思いました。

新たに打ち子を雇うことに、次第に消極的になっていった。
そして、次第に組織の規模は縮小していきました。

スロプロとしての「城」を失った日

組織運営の悩み以上に、私のスロプロ人生を根底から揺るがす出来事が起きました。
打ち子を使って効率的に稼いでいることが、どうやら店側に伝わってしまったのです。
そして、私や打ち子たちは、店にとって“利益を奪う存在”として認識されるようになってしまいました。

業界全体が縮小し、利益確保に必死な店舗が増える中、
店にとって不利益な存在は出入り禁止にする──そんな方針が、全国的な流れとして広がっていました。
私も例外ではなく、打ち子全員とともに、出入り禁止を告げられることになったのです。

それは、私が最も通っていた店でした。
20年のスロ歴のうち、収益の7割を支えてくれた、まさに“城”のような存在です。
私は毎日細かくデータを集め、他の人が気づかないような勝てるチャンスを見つけてきました。
狭く深くがスタンス──1店舗の攻略にかける時間が多く、その分、攻略している店舗数は少ないタイプでした。
だからこそ、この店が使えなくなることは、私にとって計り知れないダメージだったのです。

そのホールを失った瞬間、胸の奥に胸の奥に、静かに穴が空いたような感覚がありました。
この事件が、私のスロプロ人生の転落の始まりだったのかもしれません。


次回予告

自分の力で築いた“自由”は、確かに手応えがあった。
けれどその自由は、思いもよらない形で崩れ始める。

20年間通い続けた“城”を失った日。
そして、そこから始まった終わりなき旅について語ります。

第3話はこちら

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